まる。の生きる日記

抑うつ状態の女子大生が辛い記憶を忘れない為の日記。誰かに知って欲しいだけかもしれない。

色んなことが変わった半年と一ヶ月(2021.5.18追記)

全然更新してませんでした。

 

わたしはなんとか、前よりもとても良い状態で生きている

 

なにから書こうか迷うなぁ。

 

 

 

まずは、自分のこと。

実家で休養していくなかで、もちろん両親(特に母)の圧もあったが、なんとなく「就きたい職」が見えてきた。

社会福祉士だ。

しかし、休学している状態、しかも今の大学では免許を取ることはできない。

 

親しっかり話をして、通信制の大学に通うことになった。

 

授業は半分くらい聞いている🙄

でも、今まで学んできた「特別支援教育」に類似したものがある

また、とっても色んな就職先があって、未来を自分で決める、選ぶ、それができると感じた

職に就くなら、それになりたいとおもった。

 

すぐ実習に行けるかわからない

 

正直、いまだに中学や高校の頃の記憶はフラッシュバックする

精神面が落ち着かないことも多々ある

 

そう、実家に帰ってきたのでカウンセリングに行くことはやめたが、ちゃんと回復している

 

4つ理由がある

 

1つ目

漢方がとても効いている

びっくりした。

本当に。。。めっちゃ効くやん

 

2つ目

sky星を紡ぐ子どもたち、というゲームを2月1日からはじめた

無料ゲーなのにとてもグラフィックが綺麗で、課金厨と化している

なんならサブ垢まで作ってしまった

 

一度だけある特定の星の子に依存?してしまってブロックされた

仕方ない。

彼女の判断は私にとっても良い判断だった。

 

出会いと別れがあるゲームだ。一期一会。

世界中人と関わることができる、癒しを求めた人々が、温もりを求めた人々が集う世界。

わたしはこのゲームのおかげで、他者とのコミュニケーション能力を衰えさせずに生きることができているなぁ


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3つ目

おばあちゃんが施設にはいった

母の精神的負担、体力的負担が大幅に減ったことで、家族内でのいざこざも少なくなった

家族が安定していると、私も安定するらしい

単純だなぁ自分

今は、2つ目の施設へ引っ越し準備中。

 

 

4つ目

犬を飼い始めた

名前は「むぎまる」

カニンヘンダックストイプードルのミックス犬だ

 

とんでもなくかわいい

本当に。。。

アニマルセラピー最強すぎる。。。

 

母が半日勤務になるということから、母の要望で飼い始めた。

 

姉は、ずっと一緒にいるのがしんどそうだ。

近いうちに一人暮らしをはじめるらしい。

 

家にいるのはしんどいだろう、一人暮らしを楽しんでほしいな。

 

むぎまるおかげで私も母も父も、たまーに姉も、助けられている

みんなを笑顔にしてくれるむぎまる

大感謝!

 

 

 

まぁ、近況としてはこんな感じ。

 

 

大学の友人、今では主に2人しか連絡をとらない

しかも当時進路が違った2人だ

 

ずっと一緒いた友達も、離れたらもう連絡くれないらしい。

寂しく、悲しい世界だな思ったけど、変に連絡遣されてもなぁ、という気持ちもある

 

みんな就職してから、連絡くれたらうれしいなぁ

わたしから連絡するつもりはさらさらないが。

気を遣って病むからな

 

 

 

 

 

前向きに物事考えることができるようになった

ただそれは、「希死念慮がなくなった」

ということは他意である。

 

死んだ方がマシだと今でも思う

死ねるなら今すぐ死にたい

 

明るい未来なんてやってこないもの。

 

 

小中の時に、自分らしさを全て殺して生きてきたから

やりたいことかぁ

ゲーム、?skyはかろうじて楽しいけどなぁ

 

 

 

そういや、おじさんとこの間通話した時に

「同棲」

の話をした。

 

 

私はこんな人生でこんな人間だから、まともな恋愛も生き方もできない

彼も、ゲーム依存症でこのままだと孤独死してしまう

 

だから、同棲しよーと言ってみたら、

アリかもなぁ

 

話が思ったより良い方向に進んだ。

とても嬉しかったなぁ

 

 

結婚するのは面倒だと伝えたけど、結婚俺は別に良いけどみたいなこと言われて、

なんかそこら辺信頼されてんのかなー?嬉しいなぁ

ってなった

 

 

恋愛できないわたしと、恋ができない彼だったら

相性がいいのかなって

 

もう長い付き合いだしね。

うれしいなぁ

 

 

 

生きて、資格をとって

社会にでることを学んで落ち着いてからでいいから

彼と一緒に生きていけたらなぁって

 

 

まだ会ったことないのに!

夢物語すぎるかな?

 

たまには現実から目、そらさせてほしいなぁ、。

 

 

 

生きたいって感情が未だに自分のなかで沸いてこなくて

こんなに安定しててもだめなのか、と自分に対して呆れてしまっている

 

人からもらうアドバイスなんぞなんの役にも立たない、イライラさせられるだけ

だって、その道はすでに想定済み、で

「わかってる」

わかってるんだよ

 

何も言わないでほしいんだよ

そんなことわかってる

私は考えることだけは得意だから

 

ただ、行動にできないだけ、しないだけなの。

 

 

何も言わずに、ただみんなにそばにいて欲しい

 

貴方の考えることだって、わたしは想定内なんだよ

全部全部、そんな事簡単に想像出来ちゃうんだよ

 

思考なんて丸わかりで、

 

 

あぁ、やっぱりわたしはみんなにとって都合の良い人間を演じているだけなのか

 

 

今、すごく気づかされてしまったなぁ。

 

 

これが、「私」なんだろうな

 

 

 

なんで生きてるんだろう

 

都合のいいだけの人間なら

居ても居なくても同じなのにね。

 

どうして生かされてる?

 

どうしてあの時にわたしは

 

死ぬことが、、、。

仕方ないよね、死ねなかった時の場合を考えたら

 

あまりにもリスクが高い方法だったもの。

怖くもなるよ

 

もっと確実な方法だったなら、死んでただろうにね。

 

 

死にたい願いながらきっと、明日も明後日生きていくのかな。

神様はそんな私許してくれるのかな?

 

 

【追記】2021.5.18

久しぶりに過去のブログ読み返してました。

「おじさん」とは今は全然定期連絡しなくなった、通話もしてないしLINEもしてないしSNSも見てない。

 

ただ、この文書を書いた時の私にとって

 

「現実になるかもしれない明るい未来」

 

だったから、同棲の話とかが出て、本当に嬉しかったんだと思います。

 

 

 

今は、全然ちがう新しい繋がりを得て、

そこは本当に幸せな空間で

壊れるのが本当に怖くて

自分が壊してしまうんじゃないかと毎日不安で

 

 

でも、その不安を打ち消すくらいみんなは優しくて!

 

 

明るい未来がやっと、やっと。

 

 

社会復帰するにはまだまだ時間がかかります

 

人との距離感もまだまだ全然わからなくて難しくて

 

 

でも、

 

 

もう、嘘をつかなくて良くなった。

 

 

大丈夫だよ、過去の自分

 

 

全部書き留めてくれてありがとう。

 

 

 

 

これを、このブログのとりあえず最後にしようかなと思います。

 

 

 

「生きててよかった」

 

 

と思える日が、やっときました。

 

 

 

生きててくれてありがとう、私

 

立ち止まりながらも、前を向いて歩き続けてくれてありがとう、私

 

 

大丈夫だよ、大丈夫

 

不安になっても、みんながいるから、家族がいるから

 

私がいるから、大丈夫。

 

 

 

 

2020年元日

あけましておめでとうございます

本年も何卒よろしくお願い致します。

 

 

 

 

実家で年末から正月を過ごすのは一昨年ぶりだった

 

おせちではないが、姉と母とオードブルを作った。

 

ローストビーフと春雨サラダは大好評だった、嬉しいなぁ。

 

 

 

 

夜、パニックになった。

というか、本気で家出しようとした。

 

 

それまで色んなことに気をつかっていたようだ、

「家族はみな頑張っているのに私は何もしてない」

「自分なんて家にいてはいけない」

 

 

そういう思考が、心の深いところで募っていったのかも。

 

 

 

 

 

服の福袋を買うか迷っていた

大好きな友達とのペアコーデで悩んでいた

 

なかなか決まらなくて、これと言って欲しくもないという感情が強くなって、買わないことにした

 

 

でも、新しい服は欲しいし、、。

 

 

ぐるぐるぐるぐる考えていた

 

年を明けてずっと時間があれば服とペアコーデと、それらばかり考えていた。

 

 

 

気分がどんどん落ち込んでいた

 

 

買いたい、買えない、買いたくない

 

 

 

ペアコーデについて母と姉と話していた

 

友達にどのタイミングで相談を持ちかけるかなど、アドバイスを受けた

 

アドバイスを受けたのにも関わらず、イライラしたのか、全部の言葉をマイナスに捉えていたのか分からないが

 

「そんなん分かっとる」

「それは押し付けや」

「お姉ちゃんの言うことを押し付けんとってや」

 

 

感情がマイナスに向いて、素直に姉の言葉を受け入れられなかったのか

 

 

もちろん当たり前に、姉も気分が悪くなる

 

 

パニック状態になりかけてると分かって言ってくれたのだろう

 

「とりあえず寝な」

 

そして

 

「起きんでええよ」

 

 

 

この「起きんでええよ」は

あとから聞くと「次の人朝まで寝ときな」

という意味だったらしい

 

 

 

でもまいなすさん状態の私には

 

遠回しに

「死ね」

 

と言われているように感じた

 

 

「こんな家おられへんわ」

「家出るわ、ばいばい」

 

 

そういってリビングから離れて家出をする支度をした

 

 

 

母も姉も

「家出する」

だなんて思ってなかったのだろう

 

 

いつも通りのパニック状態に近いものだと思ったのかもしれないし、分からないが、冗談半分ぐらいで受け止められたぽい

 

 

 

着替えて、前髪にストレートアイロンをしていた

 

カバンに荷物を詰め込み家を出る準備を進めた

 

ストレートアイロンをしている時に、母に見つかり止められた

 

 

口頭の静止では止まることができなかった

 

母は私を抱きしめ遮り何度も、その小さな身体で全力で引き止めようとした

 

 

でも、図体が人より大きい私を母1人では引き止めることが出来なかった

 

 

母が姉に5度目くらいのヘルプを出してから姉が顔を見せた

 

 

姉も緊急事態に気付いたようで、私が持っていたカバンを奪おうとした

 

 

 

そのあとは

母が私を後ろから抱きしめ引き止め

姉はカバンを奪おうとして引き止め

私は「こんな家におられへん」

「自分なんかこの家おったって意味無い」

「自由にさせてくれ」

泣き叫ぶように何度も繰り返し、カバンを奪おうとする姉に抵抗した

 

 

 

少し経ってから頭が落ち着いてきて、

イスに座り母と話とし

姉は父を呼びに行った

 

 

タツに家族が集まり、

母に

「話したいことがあるなら全部話しな」

と言われた

 

 

 

何を話したいのかよく分からないし

 

別に家族に何かを求めたい訳でもない

 

でも

自分がパニック状態になるのは仕方ないし

でもしんどくて、

頑張るしかないし、疲れちゃうし

家族に対して申し訳ないと思うし

人間として生きるのがしんどいし

 

 

 

思う事をぶわーって話したから何を話したか具体的に思い出せないけど

 

 

 

いっぱい話して、自分の思考がおさまってきた

 

 

 

結局自分がどうしたいとかはないけど

 

今後も戦っていくしかないし、これが病気だと家族に知ってもらえてホッとしたかも

 

 

 

お母さんが引き止める時に泣いていたらしい

 

 

私は気づくことが出来なった、

気づきたくなかった

 

 

 

家族の涙はしんどい

 

自分の意見が言えなくなるから

 

 

 

あとから姉に伝えられて、申し訳ないごめんなとあやまった

 

 

姉にも謝られた

言い方も悪かった、私もスイッチが入っていたかも

そう言って謝ってくれた

 

 

姉は別にそんな悪くないのでは……と思うが

 

 

 

ストレスを発散する方法考えなきゃな〜

家族が私に対して死ねなんて思うわけないやん

父はそう何度も強く伝えてくれた

 

 

 

みーちゃん引き止められへんわ

またパニックなったらどうしたらええん?

母も気持ちが落ち込んでしまったらしい、というかとても悲しんでいた

 

私は確実に死ぬと確信したらしい

 

だから、それが怖かったと

 

 

また、そうなるのが怖いと

 

 

母の身体では私を引き止めることが出来ないから。

 

 

母の病気のことを考えた

 

誰よりもこの家族の中で死に近く死を覚悟して生きる彼女にとって、私たち子どもは自分の命と引き換えにしても足りないくらい大切なものなのだろう。

 

母の寿命はあと5年もないかもしれない

 

正直いつ亡くなるか分からない

 

日々訴える母の身体の不調にヒヤヒヤする

 

 

 

向き合っていくしかない

これは病気だから

こうならないように、目を背けずに

少しでもストレスたまらないようにとか、考えながら。

 

 

そういう話をした。

 

 

 

 

 

波乱の元日だった

 

 

めちゃくちゃ疲れた

 

 

 

こんな元日なかなかないと思う

 

 

 

 

 

厄祓いかもしれないなーとか、去年の分のね。

 

 

 

 

 

 

今年は少しずつ努力して前に進む年にしたい

 

今年も、かな。

 

 

自分の人生を歩める人間になりたいな。

 

 

 

 

お母さんに笑ってもらえるように、前向いて生きたいな。

厄祓い

生まれて初めて厄祓いをしに行った。

 

姉に連れられ電車に乗って、休日にも関わらず人の少ない神社に御祈祷をしに行った。

 

 

足を踏み入れ水でお清めしてから、涙が少し出そうな感覚で不思議だった

泣きたかったわけじゃない

悲しいわけじゃない。

 

 

 

必要事項を記入しお金を納めて、姉と二人きりでお祓いをしてもらった。

 

 

 

頭を少し下げてお祓いをした瞬間から、少しずつ涙が流れるように出てきた

 

 

不思議だったのは、普段は嗚咽が必ず混じるのだが今回は全く嗚咽がなく、ただ涙が溢れ出てきた

 

 

 

御祈祷が終わって泣いてる私を見て姉が

「なにかついとったんちゃう?」

と少し笑いながら話してくれた

 

 

 

 

初めての御祈祷だった。

 

 

 

そのあと姉と水族館に行った

ペンギンが大量にいて可愛かったなぁ

 

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クレープも食べた

 

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姉の靴を買った

 

 

最後にスタバの新作も飲んだ

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こんなに歩き回ったのに、帰ってきてから気持ちが落ち込むことがなかった

 

普段なら必ず落ち込んでるのに、不思議だった。

 

 

病は気からというが、その通りなのかなぁ

お祓いのおかげなのかな

 

 

よく分からないけど、少しでも自分も、お姉ちゃんも。

そして出来れば家族も、笑って今後もすごせたらいいな。

 

 

 

今日一日のプラン考えてくれて一緒に歩き回ってくれて運転してくれたお姉ちゃんだいすきだなぁと思う。

 

世界で1番仲良くなれないと思う、姉妹でよかったと思う。

姉妹だからこそお互いを受容しあえて、補完し合えるのかな?できてるか分からないけど

私はお姉ちゃんに救われてるんだなぁと思う

 

 

 

 

本当に、本当に幸せな1日だった。

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様々なモニターアンケートをはじめてみた

実家で休養している間、「何もしなくていい」のだが

必要以上に頭が回転してしんどくなる

 

 

考えなくてもいいことを考えて、どんどん頭が回って苦しくなる

 

 

 

ある時、アンケートをする機会があった

 

LINEの簡単なアンケートだが、それをしている間は思考が紛れて

それまで苦しくてもアンケートをしている間は真面目にアンケートの内容のみに意識を集中できるため、楽だった

 

 

 

そして、モニターアンケートというものを知った。

 

今は実家で家族に養ってもらっているが、ずっと養ってもらってるばかりで「自分には何も出来ない」と落ち込むこともあった

 

だから、簡単な小銭稼ぎのつもりでモニターアンケートを始めることにした

 

 

 

私が登録したのは

マクロミル

「infoQ」

「Powl」

そしてモニター商品がほぼメインの

「コエタス」

 

の4つだ

 

 

 

私には時間は有り余っているし、アンケートをしているあいだは思考が紛れる

 

その上お小遣いも少しだけ稼ぐことができるし、モニター商品が当たれば普段使えないものを使う機会ができ、意欲が上がる

 

 

 

正直、今の私にはピッタリだと考えている。

 

 

 

 

今後、モニター商品が当たれば、使用してこちらのブログに掲載することになるだろう

 

文字を書くことはとても大好きで、ものを批評するのも大好きなので楽しみが沢山ある。

 

 

 

 

何をしても楽しくない

何をしてもしんどい

 

死にたいとしか考えることが出来ない

 

 

そう思う日々は辛い。

 

 

 

新しいことをはじめて、少しでも私の人生に色が出来たらなと思う。

 

 

 

帰省、そして休養。

土曜日のカウンセリングで、延々と泣きながらカウンセラーに話をした。

 

生きるのがただ辛い

何も出来なくて辛い

心も身体もぼろぼろで辛い

全部が辛い

死にたいけど死ぬのが怖くて死ねなくて辛い

 

 

もう、いっぱいいっぱいだった。

私には余裕が全くなかった。

 

 

 

 

こんな状態で、前々から予定してた通り実家に帰省することになった。

 

 

参加してすらいない学園祭のことを聞かれると心がしんどくなった

 

心配かけまいと思い、家族や友人や先生に向けて吐き出した多くの嘘が、トゲが、どす黒くなってまとわりついて身体にズブズブと刺さった。

 

正直なことが言えない私に対して家族が様々な考察をする

 

私は〇〇だから××なんだろうね

 

と決めつけられる。

仕方がないことで、当たり前のことで

 

 

 

 

 

それにすらもう、耐えることが出来なかった

 

 

本当の自分を吐き出さずにはいられなかった

 

苦しかった、辛かった、誰かに、家族に、大切な人に、嘘を見破って欲しかった、もっと深くまで心配して欲しかった、理解されたかった、知って欲しかった、助けて欲しかった

 

 

私は死にたかった

私は生きる事から逃げたかった

私は、私は、私は……

 

 

 

 

全部を吐き出したあと何度も

「もう、休みたい」

と、泣きながら伝えた。

 

 

 

 

 

両親は多くの選択肢を用意してくれた

しかし、どれもほとんどが学校に通い続ける選択肢ばかりで、その時の自分にはあまりにも耐えられるものではなく、考え答えを出すことを少し後回しにした。

 

 

この決断ひとつで私の人生がまた、決まってしまうのだから

 

 

 

 

次の日の朝、また話し合いをした。

 

学校に行き続けることは苦しいと自分の中で分かっていたから、学校に通おう通おうと提案されるのが辛かった

 

 

「ごめん、少しだけ1人にして」

そう言って少しの間時間を貰い、一人部屋にこもって考えた。

 

休学したいと

 

伝えるべきか、伝えないべきか。

 

 

 

 

 

家族の元へ戻り、泣きながら、震えるような声で伝えた

 

 

「休学…したいです…ゆっくり休みたい、学校に行き続けるのは無理、。このまま行くと私は絶対に死ぬ、死にたい。死にたくない、生きたいから……休ませてください」

 

 

家族は暖かかった、私が感じている何倍も暖かかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

休学することが決まってすぐ、家を引き払う手続きや休学の手続きをほとんど進めて、引っ越すための荷物運びをはじめた。

 

 

一気に色んなことが進んで体力も脳も疲弊しているけれど、心はもう

「死にたい」

と感じることは少なくなったように思う

 

 

 

運びきれないほどの大量の荷物を見て、それまで自分がこの場所で生きてきたこと、一人で生きてきたけれど周りの人のもので溢れていたことを実感することができた。

 

 

私は、私が自覚しているよりもきっと沢山の人に支えられて生きているのかもしれないな。

 

 

 

 

『道はひとつじゃない、ゆっくり考えて経験して、今はとにかく自分のことだけ考えてゆっくりすればいい』

 

父親はそう、私に何度も伝えてくれた。

 

 

 

 

1番に大切な友人に、そして命の恩人である友人に、そして幼なじみに、お世話になっているフォロワーさんに、お昼を食べる約束をしてた大学の男友達に、少しずつ連絡をしていった。

 

皆優しく受け止めてくれた

ゆっくり休んでね

と、頭を撫でられるような感覚だ

 

 

 

未だに大学の友達には伝えることが出来ていない

伝えるのはしんどいし体力がいる

 

もう当分は会うことはないだろう

きっと会う度に劣等感を感じ、苦しくなる

好きな人に嫉妬するのは苦しい

 

それらを感じないくらい元気になるまで、ゆっくりゆっくり休みたいと思う

 

元気になればまた、一緒に笑うことができるのかな。

大好きな特支のメンバーには幸せになってもらいたいし、また、できたら一緒に、またいつか、笑えたらいいな

 

 

私が居ない間に私の事をみんな忘れちゃうかもしれないし、どうでもいいとかきっと思われてるだろうけれど

 

私はいつまでも彼女達一人一人を忘れたくなくて、それくらい特支のメンバーは皆優しくて暖かくて面白くてかっこよくて可愛くて、素敵な、それこそ奇跡みたいな出会いだったのかな。

 

心配かけてたら申し訳ないな、ごめんなさい。

いつか元気になれたら、また会えるのかな

 

 

 

高校の大好きな友達に明日には連絡した方がいいかな〜、と絶賛迷い中

 

 

 

諸々の方々には、ぼちぼち連絡していくつもり、

無理しない程度にね

 

 

 

 

半年ほどゆっくりゆっくり休ませていただきます。

 

このブログは今後も続けていきます、書くことで記憶を整理することができるからね。

 

 

 

 

いつか、明日も生きたいと思える日が来るかもしれない

 

それまで、ゆっくりゆっくり

 

人の為ばかり考えるのは、呼吸をすることと同じくらい当たり前で、だから今更自分の事を見つめるのは大変で、だけど

 

少しずつ、前を向いて

 

生きようかなと思います。

オーバードーズ

ねむれない夜なので、書きます。

私の苦しいは誰かに見てもらえてるのかな

 

 

2週間近く、いや、3週間かな

そのうち実質4日くらいしか外に出てないかもしれない

 

 

数えてないからわからない

 

 

人にも会っていない

 

 

 

 

はじめてオーバードーズをした。

バファリンを20錠近く飲んだ

 

死ぬ時はちゃんとしっかり死にたくて、でも直前になってこわくなってしまった

 

致死量ではないことを理解した上で飲んだ

 

 

興味本位でもあり

その行動による周囲の変化、家族の対応

「自分が窮地であることを周りに理解してもらう」ための一手段となり得るかどうか判断したかったのかもしれない

 

 

過食後に飲んだため、3時間後に頭痛が少しするくらいしか感じずその後10錠加えて飲んだ

 

 

次の日の難聴と耳鳴りはえげつなかったが、この程度なのかと思わざるを得なかった。

 

 

本気で死のうと思ってた為、嘘を沢山ついた

 

私は嘘つきで、自分が良いように見てもらいたい時、楽をしたい時、効率よく進めたい時はすぐ嘘をつく

 

 

 

家族にオーバードーズをしたことを伝えると、そっかぁ……というような反応だった

 

 

本気で死のうと思ってなかったなら良かったと思われたんだろう

 

 

 

 

希死念慮は消えない

ここ数日はかなり強い

 

死にたいのに死ねないのでは無くそれすらもう面倒に感じてしまう

 

 

ただの怠惰なのかもしれない、多分怠惰なのだろう。

 

 

生きることに疲れてしまった

 

学校なんてもう、行く気力もなくて

疲れてしまった。

 

 

 

 

周りはもっと疲れているし家族がどれだけ頑張ってるかを知ってるから苦しい

 

 

こういう、優等生な自分がいるから自分が楽をする度にそれを責め嘘をつく度に責め、つらい

 

 

 

 

普通の人もみんな当たり前にこういうことを脳の中で行い処理して生きているのだろうし、私も今までそうしてきたはずなのだけれど

 

 

 

「怠惰」が抑えられないだけなのか

鬱状態になってしまっているのか

よくわからない、生き延びようとも思わないのにな

 

 

 

 

 

次はちゃんと致死量を飲もうと思う

たいしたことないな、と家族や周りに思われているのが嫌なのかもしれない

自分が苦しいことを理解して欲しいのかもしれないし、そうしてもらうことで自分が家にひきこもって楽になれると私は思っているのかもしれない

 

 

もう本当に、日々を生きるのですらいっぱいいっぱいだ

 

本当にいっぱいいっぱいで

 

情報化社会の現代は私の生きやすい世界ではないとヒシヒシと感じる

 

 

 

SNS含めインターネットに出会うことなく自分の世界にひきこもって田舎でなにも知らず良い子いい子で周りにいい所だけ見せて生きてたら私も周りも幸せだったのかもしれない

 

 

 

 

私は生きるのが向いていない

それだけ思考が回ってしまうからでもあり

怠惰の化身でもあり

もう耐えられない

 

 

 

別に外に遊びに行けなくてもいいから絵を描きたい

絵を描いてフォロワーに喜んでもらいたい

歌を歌いたい

歌を覚えたい

 

 

 

したいことはそれくらいかもしれない

 

他の小さなしたいことはもうなんか、満足してしまった

 

もういいや

 

 

 

 

はやく楽になりたい

 

お金が欲しい

 

遊んで暮らしたいまでは言わない、ただ何もせず幸せだと思える環境下で暮らしたい

 

 

無理だね、もう手遅れです

 

 

 

うちの家族は皆、今は綱渡り状態

 

1人が足を踏み外せばみんな下に落ちていく

 

 

私がしねばみんな死ぬのかな?と思うくらい、不安定で脆くて

 

 

だからこそ「家」は私の居場所じゃない

 

そうだと信じたくないのかもしれない

 

そんな不安定な足場を固める役割をしてきたことを家族は理解してくれない

 

全部全部嘘だったと理解してくれない

 

私の本音が見えなくなったことすらも理解してくれない

 

 

 

私の居場所はインターネットにしかないのかもしれないし、ここもきっととても不安定で

 

 

でも、きっと現実よりよっぽど幸せなのかもしれない。

 

 

 

 

 

なんのために生きるのか

久しぶりの更新になります。

 

書く余裕がなかった。

それと、帰省してる間は落ち着いていたから、思考まとめる必要もなかったのかも。

 

 

 

いつまでも希死念慮は無くならない

 

周りの人と同じように

何か希望を持ったり近い将来に夢見て生きたりすることが出来ない

 

まず、「自分」が何をしたいかが私には分からなくて、苦しい。

 

 

「生きてるだけでいい」

「死ななければいい」

「それだけでえらい」

 

 

薄っぺらな言葉だけをかけられることが増えた気がする

 

 

「私が生きること」に対して

「〇〇が生きて欲しいと思ってるから生きる」という意識を作って欲しいがために、そういう声掛けをされてるのかと思うと胸糞悪い

 

 

私の意思がいつまでも見えなくてつらい

 

 

 

いや、しにたいんだけどなぁ

 

痛いのはいやだ

苦しいのも怖いのもいやだ

 

 

はやく死にたい、殺して欲しい

 

 

ずっとずっと思ってる

 

毎日毎日何百回もそれを願って生きてる

 

この時間が私にはもったいない

効率が悪い

早く死ねばいいのにと思う

 

 

 

私は「よく見えている」人らしい

 

それは、人間関係とかその先のこととか

 

ひとつの言葉がけから、その後どのように人が動きどのように変化していくのかが何となく分かる

 

だからこそ、私は言いたいことをグッとこらえるようになってしまったらしい

 

家でも、学校でも、どこでも

 

 

20年近くそんな生き方をしてきたから

自分がどう思っているのかが分からなくなってしまったのだろう

見えずらいところにあるし、見えたとしてもなかなか表に出せなくて結局全部抱え込んでしまうらしい

 

 

 

 

だから、死にたい死にたいとか言うけど、死んだ後のこととかめっちゃ考える

 

考えなくていいじゃん?とか

本当に死にたいなら自分のことだけ考えるもんでしょとか、見当違いなこと言わないでほしい

 

どうして死にたいのかお前らにわかんのか?

 

少なくとも「自分さえいなければ」の思考が私の中にあるし、きっと死にたいと思う人の中に少なくともそういう感情のひとつやふたつあると思う

 

周りのことを考えるのは息をするのと同じくらい当たり前のことで

それに敏感すぎて生きるのが苦しいことを理解して欲しい

 

 

 

 

 

両親は私と姉に対して

「あなた達のために頑張ってる」

と言う

 

「人のために頑張る」

ことのメリットが分からない

 

理解できないのかも、

 

私は

「自分が怒られないために生きている」

「自分が可哀想だと思われたい」

「自分のために自分のできることは頑張りたい」

 

自分のことしか考えてないわ

 

 

死んだら怒られてるのは目に見えてる

生きてる方がよっぽどお荷物だろうにね。

 

 

 

「生きる意味」が欲しい

「生きがい」みたいなやつ。

 

 

むりだなぁ、わかんないや

好きな友達と一緒にカフェ行けたし

一緒にお昼食べたりカラオケ行ったりお話したりお泊まりしたり

もう満足なんだよなぁ正直

 

はやく死にたいとしか思えないな

 

 

自分に甘すぎて腹立つな

 

 

 

 

なんの目的もなく生きることに価値があるとは思えないし、私はそういう価値観で生きてるからきっとこれからも私が生きていることを否定し続けるんだと思う

 

矛盾を抱えて苦しむくらいならはやく楽にして欲しい

褒められること

褒められた時、上手くありがとうを伝えられない事が多い気がする。

 

私の周りの友人は、皆沢山褒めてくれる

 

 

例えば

 

「今日の服新しい服?可愛い!」

「このワークシートみあちゃんが作ったん?めっちゃいいじゃん〜!すご!」

 

などである

 

 

 

人間不信がピークの時は、その言葉を素直に受け取れなかったが、今は違う。

 

 

私の周りの友人の事を私はある程度信頼できていると思う。

 

「いつでも頼れる」

 

ではないが

 

「頼れば反応を返してくれる」

 

といった所だろうか。

 

 

私は、今の友人との距離感がとても心地よく、今まで以上に生きやすくなった。

 

それは、きっと友人が私について少しだけ理解してくれてる、気がするからである

 

 

気を使ってくれてるのがヒシヒシと伝わってくる場面がある

 

その度、申し訳なく感じるが

同時にとても感謝している。

 

 

一時的にだが、例えば学校を長期間休んでしまう事で、相手との距離感が分からなくなりコミュニケーションをどのようにとったらいいか分からなくなり、上手く顔を見て話すことが出来なくなる。

 

 

そういう場面で彼女達は気をつかってくれて

「みあちゃん、一緒にお昼ご飯食べよ!」

「みあちゃん!」

 

と声を掛けてくれる

 

そして、一緒に行動しながら他愛もない話をしてくれて

少しずつ私の緊張の糸が解けていく。

 

 

 

私は、今の友人との距離感が心地いい。

 

だからこそ、褒めてもらった時にちゃんと

「ありがとう」

を伝えたいのだが、。

 

 

 

私自身も、友人に対して褒めることが出来ているだろうか?

 

褒めること

というより

 

「好き!」

「すごい!」

 

と伝える事がほとんどかもしれない……。

 

 

 

もっと沢山

「ありがとう」

を伝えられるようになれたらいいな。

 

 

 

ルーズリーフを食べた日。

生理の約10日前頃から頭痛・体重増加・過食・鬱思考・性欲増加・情緒の不安定に陥り安くなっている気がする

 

頭痛や性欲増加は一時的なものだから構わないが、過食による体重増加や嘔吐、また情緒の不安定からも鬱思考になりやすく、これは後に残りやすい

 

 

情緒の起伏が激しいのは女性なら特に多いことなのかなと感じている

 

しかし、それが要因となって苦しい状態が長引く、またはそれが起因となって自傷行為をしてしまうのは正直避けたい、しんどい。

 

 

今、丁度生理の10日ほど前である、

 

情緒不安定

人と上手くコミュニケーションするのも難しい

やらなきゃいけない言葉をやる事が難しい

体重増加

性欲増加

過食

嘔吐

便秘

下痢

血便(痔かポリープが要因だと考えられる)

 

心も身体もボロボロで

誰一人気づいてくれることはない

 

私がヘルプを出せないから

出さないから。

 

 

 

今日も家族と電話をした

 

電話をするのは日課となってきている、正直これは私にとってとても重要な行為であり、この行為が無くなればまた家族との壁は分厚くなっていくだろう。

 

 

実習・テスト・家の事・模擬授業のこと・友達のこと・自分がやりたいこと

 

この時期は多すぎる、今年は多すぎる

 

 

スケジュール帳とスマホのメモ帳の「やることリスト」を確認した

通話越しに、私が実家に帰省した時にやらなければ行けない事を母が話しているのが聞こえてきた

 

 

頭が混乱した

ぐるぐるまわって

気持ち悪くなって

 

 

今日の晩御飯はカレーだった。

 

ただでさえ上手く消化できてないから、ここの所何を食べても吐き気が続いた

 

吐き気によるストレスから食べて

吐いて

食べて

吐いて

 

こんな状態だった

 

 

通話越しに

「大丈夫?」

という声が聞こえてきた

 

「思考を整理している」

と伝えるのは難しい事だった

 

この状態の私は発語が上手くできない、言いたいことが音声言語にならない、言葉で表出できない。

 

 

話せない自分にも苛立ちを覚えた

気持ち悪くなって、気持ち悪くなって

 

 

「みーちゃんどなしたん?」

「声消えたな」

「今やること多くていっぱいいっぱいになってるみたい」

「でもやらなあかんことはやらなあかんからな」

「お母さん達は手伝えないこともあるから」

 

 

 

こういう言葉が沢山聞こえてきた

 

 

そうじゃない 、分かってるそれくらい

 

「そんな言葉欲しくない」

そう思った、たぶん、そう思うことが出来た。

 

言いたいことも言えず

ただ無言で、たまに相槌を打つだけのこの時間は無駄にしか思えなかった

 

少し落ち着いたところで

「おやすみ」

「おやすみ」

 

と言って電話を切った

 

 

 

気持ち悪さは収まらなかった

手を引っ掻きたくなった

なんでもいいから殴りたくなった

でも血は見たくない

血が出る事はしたくない

痛いからとかじゃなくて

痕が残りやすいから

衝動は

呼吸を整えただけじゃ収まらない

 

気持ち悪くて気持ち悪くて

 

目の前にある、さっきまで使っていたルーズリーフを手に掴んだ

 

平らな面から口に入れた

口内を紙で傷つけないように

怪我をして血が出ないように

後遺痕が残らないように

でも勢いよく

奥歯で噛み締めた

唾液を染み込ませて

何度も何度も噛み締めた

 

 

涙を流しながらのその行為は3分程度で終わりを迎えた

 

 

とても落ち着いた

正直、本当に落ち着いた

手の甲をを引っ掻く時と同じくらい

頭を硬いもので殴る時と同じくらい

思考が少し停止した

 

 

 

そのまま口内にそれが残った

飲み込もうとした

途中まで飲み込んで、吐き気をもよおした

飲み込めなかった

 

生まれて初めて、ルーズリーフを食べた

 

紙と塩の味がした。

 

 

 

 

落ち着きを取り戻して

「あぁ、明日の準備してお風呂入ろ」

 

切り替えられる自分が怖かった

 

 

気持ち悪いと思わない?

さっきまであんなに消えたがって死にたがって

でもふとした瞬間に別人のように切り替わる自分が怖かった

 

 

 

「思考力があるから」

この言葉に尽きるだろう。

 

多方面から見ることができるからこそ、今も生きることが出来ているのだろう

 

 

自分の本音をまた見つめ直すことができなかった

 

 

そう思ったから、今こうやってここに文章を書いてる

 

 

 

家族にどんな声掛けをして欲しかったのだろう

 

「出来ることだけでいいよ、大丈夫」

「ひとつずつやって、終わったらバンザイしよ」

 

こういうのかな、たぶん。

 

 

言ってくれるわけがないとは分かってるけれど

 

言って欲しかったなぁ

 

 

「あなたは1人で乗り越えなくては行けない」

こう言われるのは割と、きついなぁ。

分かってるそれくらい

分かってるよ、分かってる

理解してる

 

でも

見放されたように感じるのは

どうしてなのかな。

 

 

そうじゃないことくらい分かってる

沢山気を使ってくれてることも。

 

 

 

 

もっとこうして欲しい

こうされたい

 

 

そういう本音が見える度に

 

 

両親だって忙しいから

そんな中気を使ってくれてるから

私にお金も時間も割いてくれてるから

無理を言ってはいけない

ワガママ言ってはいけない

 

 

思考が邪魔をする

 

 

何も考えたくない

 

 

 

 

 

過眠をするのは思考を遮るためである

一人暮らしをはじめてから、丸1日することが無い日というものが何日かあった

その中で、精神負荷を最小限に抑える方法は、睡眠がなによりも効果的であることを私は知ってしまった。

 

 

 

いつまでも寝たい

考えたくない

苦しい

しんどい

人と関わりたくない

何もしたくない

 

生きるのが苦しい

生きたくない

やりたいことなんてない

いっその事

 

 

 

 

こういう思考になるのはあっという間だ。

 

 

 

 

 

私は理解している

 

私の思考回路を理解している

 

理屈として理解している

 

 

 

 

 

いつか身内の誰かが、私のこの日記を読んでくれることがあれば

同じように理解されたいと

今の私は願う

はじめての教育実習を終えて

特別支援学校で教育実習をさせて頂いた。

 

本当に本当に、不安しか無かった。

 

普段の生活の中でさえ、朝起きれなかったり学校に行けなかったりする日があるのに、私なんかが実習してもいいのか、迷惑にならないだろうか、毎日行けるか、沢山の不安があった。

 

 

無事に実習を終えた

 

 

正直、すごく楽しかった。

 

 

児童との関わりはもちろんだが、私は担任の先生に救われた。

 

 

私は元々、自己肯定感が薄く「出来たこと」に目を向けることができない人間だ。

 

それは、要因として

「なんでも出来た」

自分が過去に居たからなのだろう。

 

少し頑張れば成績もよかったし、少し頑張ればスポーツ(球技)も音楽も他にも色々出来た。

 

できて当たり前という意識があったからこそ、出来たことに対しての達成感が人よりも薄く、称賛することが苦手だった。

 

 

日々の実習の中で、担任は毎日

「先生のこの声掛けめっちゃ良かったと思うよ」

「今の対応よかったね」

沢山、出来た部分に焦点を合わせてくださった

 

改善点はもちろん沢山あったし、こうすれば良かったと思う事もあったが

それ以上に沢山沢山、出来た部分を見つけては伝えてくださった。

 

 

何より、先生はきっと嘘をついてないだろうと思うことが出来た

それは、日々の児童との関わりや私自身と向き合ってくださる先生の様子から、

ただの称賛とは違い、先生が本当に感じた事・思ったことを素直に伝えてくださってるのだと理解出来た。

 

過去の経験からその辺りの上辺かどうかの判断にはとても敏感だったので、だからこそ、私にとってはそれが大きな影響になった。

 

 

 

人生で、ここまで自分が出来たことに目を向けることが出来たのは初めてかもしれない。

 

「できて当たり前」の自分から離れる事が出来たのは、初めてかもしれない。

 

 

本当に本当に、彼が担任のクラスに配属してもらって良かったと思える。

 

 

 

教育実習とは、児童との関わりの中で新しく教育の面に関して多くを学ぶ場なのだろう。

 

しかし私にとっては、自分自身と向き合う期間だった。

 

 

 

少しずつ少しずつ、前に進めてるのかな

 

 

友達にも家族にもこの事を話した。

 

 

彼が担任で本当によかった。

 

 

 

 

まだ、自分がやりたいこと、自分に出来ること、どう生きたいか、。

 

見つからない、生きたいと思うのはまだ少し難しい。

 

過去にも振り回される、現実は日々迫ってくる。

 

それでも、自分が出来たことに目を向けて、昨日の自分よりも少し成長した自分と向き合う事で、何か少しでも良い方に変われたらなぁ。

「17歳のカルテ」と20歳の彼との記憶

授業で途中まで見た映画を家に帰って最後まで見た。

 

境界性パーソナリティ障害を持った主人公を見てると、私が高校1年生の頃から2年生の梅雨頃に掛けて関わってた、同じ障害を持った友人のことを思い出した。

 

 

私がSNSを始めたのは中学の頃からだったが、今の界隈に足を踏み入れたのは高校一年生の冬、1月からだった。

 

彼との出会いは某配信アプリの3人程度の界隈だった。

フォロワーのフォロワーで、最初は少し変わった人だと思っていたが、悪い人じゃないと思っていた。

 

そして彼はとても歌が上手くて、高いキーがでてかっこよくて上手い彼の歌声がすごく好きで、彼の配信でリスナー私1人だった時もずーっと彼の歌を聴いて褒めてをしてた。

 

 

しかし、少し彼の執着が異常だと気づいた。

 

それまでに私はSkypeやLINEを交換しており、通話も何度かした。エロイプに近いような通話も少なくはなかったし、怖かったけど言い出せなくて、多分それは中学の頃の記憶もあり「断るのが怖い」「嫌われたくない」思いが強くて反抗できなかったんだと思う。

 

当時、SNSや学校で多くの人と関わってきて、私の家が普通ではないこと、もっと他に自分に人生があったことを知ったこと、そして今更元に戻れないことに絶望していた

それら「SNSをほぼ常に監視されてる」「家を継がなければいけない」などの「家に対する不満」や「絶望」が半端ではなくて、彼や同じ界隈の他のフォロワーにもよく話を聞いてもらっていた

 

「俺の家に来たらいい!一緒に住もう?」と言ってくれた時もあったが、SNSを家族に監視されてる上に現実的に無理な話だからと諦めていた

 

 

彼の執着に気づいた時は遅かった。

 

某配信アプリで配信を始めると必ず来る(当たり前のことかもしれないが当時の私は重度の配信中毒だったのもあり、常に居られるのが心地よく感じられなかった)

また、配信中に他のフォロワーと盛り上がってる時配信にコメせず潜って常に監視される(コメント打ち込み中と表示される時のユーザーIDから特定)

Twitterでの全てのツイートに関係ないリプをめっちゃしてくる(「ねぇ聞いて〜めっちゃ頭痛い」「無視しないでよ」「ねぇ???」)

 

 

彼は境界性パーソナリティ障害だけではなく複数の病気(躁鬱など)も持っていた

きっとこれはいわゆる他者依存という症状だったのだろうけれど、当時高校生で障害や病気について無知な私は関わり方が分からず「ネットから離れる」「ほかの連絡手段をできるだけブロックする」くらいしか思い浮かばなかった

 

どうせ家族にもSNSを監視されておりいつも

SNS辞めろ」

と言われていたので、私は一時的に(多分1ヶ月か2ヶ月か、。別垢で好きなフォロワーとだけ関わってたからわからない)SNSから去った。

 

 

 

彼との記憶はこれが全てではない、楽しかったことも沢山あるはず

ただでさえ忘れてしまう私のことだから、認識に差があるかもしれないし、事実関係も少し違うかもしれない

 

 

仲が良かった頃に彼に描いた私のイラストは、SNSから去ってもずーっとアイコンに使われていた

 

 

SNSに戻ってきた時はもうその界隈の人たちとは連絡をほとんど取っておらず、フォローもしに行かなかった。

 

 

検索してみたら、自分の描いたイラストがコテキャラになっており少し複雑な心境になった。

 

 

 

他にも当時色々、フォロワーとの人間関係が複雑でしんどかったから、いつか書き出せたらいいなと思う。

 

 

 

無知は人を傷つけることがある

そして自分自身を苦しめることも。

 

 

 

今でこそ勉強してるから良かったなぁと思える。

 

 

これから先色んな人と関わっていく上で、もっと学ばなければいけないことが多いだろう。

 

 

 

 

追記

自分垢消ししてなかったっぽい……。

過去の配信と自分の垢確認しに行ったら消したのは高2の冬頃みたい

でも、もう同じ界隈の人と関わってなかった。

あきらかにそこら辺の人らと距離置いたのは高2の夏だ。

そこら辺の記憶が曖昧すぎる、どうやってその依存の無限ループ終わらせたのか分からない

自然に無くなって行ったのが……。

過去と向き合う

今日も今日とてカウンセリングに行ってきた

 

GWあけてから久しぶりのカウンセリング、話したいことは山ほどあった。

でもやっぱりその中で、あの夢の話はしなきゃいけないと思った。

 

 

自分にとって、彼との記憶はとても繊細で色鮮やかでどろどろして苦しくて、幸せだと思えるうちに、誰かに知られないうちに。死にたくなる日々だったように記憶してる。

初恋、初彼、初H、他にも沢山の初めての全部を彼と、経験して、沢山の初めてを共有した

 

 

共犯者ってやつ。

 

 

 

私にとって、中学の頃の記憶は痛くて苦しくて楽しかった

 

友達が笑ってたり、クラスが明るくある事を私は喜んだ。

 

いい成績をとって、地域の方々に挨拶をして、良い子を演じて、家族が喜んでくれることを私は望んだ。

 

自分自身の幸せや、自分自身のやりたい事を全て押し殺して長い間生きてきたんだろう。

 

 

いつの間にか「自分」を見失ってた

 

 

同時に、記憶も少しずつ薄く、そしてだんだんハッキリと、思い出せない事が増えた。

 

 

 

記憶にわたしは無意識に鍵をかけるようになった。

楽しい記憶も、悲しい記憶も。

 

同時に、学校での学びにも同じように鍵をかけるようになった為、

高校3年頃にはそれが顕著に成績に表れるようになった。

 

 

 

「思い出せない事」

 

それは、自分の中でその事実を昇華しきれない要因のひとつだ。

 

 

 

私には、沢山の思い出せない事、思い出すのが嫌なこと、沢山沢山ある。

 

 

でも、こうやって夢に出てきて、過去にとらわれて苦しくなるのはもっと嫌なんです。

 

 

そうカウンセラーに伝えた。

 

 

 

カウンセリングの中で、少しずつ過去の記憶を整理することになった。

 

自分の経験だと認識して

過去の記憶だと認識して

それは今の自分とは違う事を認識して

 

 

前に進むために、必要なことだと理解した。

 

 

 

私の場合、小中の頃の経験を思い出そうとすると、芋ずる式にどんどん思い出していくが故に、その日1日寝たきりになってしまうくらい負荷がかかってしまう。

 

だから、カウンセリングの中で少しずつ少しずつ思い出して、一緒に整理して、なんとか自分を形成していきたいと思う。

 

 

 

 

私は二度と上手く恋愛が出来ないと思っていた

好きな人ができても、性的行為をする際は必ず中学の頃の記憶を思い出した

相手を信用出来ないのも、多分

 

後遺症は完全に回復はしない。

 

ただ、少しずつ向き合って行くことはできる。

 

 

 

いつかちゃんと恋愛ができる人間になりたいと思う

 

 

 

あとは、友人関係。

これも、沢山のトラウマがある

ただ、少しずつ心の整理をしていくなかで、同じように整理して、人と関われるようになったらいいなと思う。

 

 

 

 

やっと、家族に思いを話せるようになった。

やっと、人を頼れるようになった。

 

 

去年の12月31日、死のうと考えてた私を引き止めてくれた友人に感謝しないといけないなぁと思う。

 

少しずつ、少しずつ。

黒髪とスーツ

全然更新してませんでした、久しぶりに書こうと思う。

 

何から書こうかな、もう1ヶ月半くらい書いてないのか。

 

 

学校は休みながらもなんとか通えてる

ご飯も食べてる

毎日家族と連絡を取るようにしてる

課題は期限までに必ず終わらせることが出来てる

 

 

少しずつ増えてきた、できること。

 

それでもまだ苦しい苦しい、と思う。

中途半端に出来てるからなのかもしれんなぁと感じる。

 

 

 

認知行動療法」についての本を少しだけ読んだ

思考の偏りは誰にでもある

ただ、それを「理解している」かどうかで全然違うんだと感じた。

 

 

書きたいこと沢山あるなぁどうしよう

 

 

先に、こないだあったトラウマの話から書こうかな。

 

一昨日、夢を見た。

中学の時の元彼の記憶、犯されるだけ、彼の欲を満たすために、自分の欲を満たすために、ただ身体を重ねるだけの夢。そして欲を中に吐き出されて捨てられる、それだけの夢。

 

すごく苦しかった、しんどかった、耐えられなかった夢だった。

 

起きても身体は火照ってた、欲を満たそうとしてた、濡れてる部分がすごくすごく気持ち悪かった、こんな自分自身が1番気持ち悪かった。

 

心の傷は癒えない。

落ち着いてから恐怖におそわれた。

誰かに話さなきゃ耐えられなかった。

 

たまたまLINEの返事を返してなかった友達がいて、たまたまリアルタイムで返事が来た

その友達にLINEで話して、話しても怖くて、怖くて、自己嫌悪に陥って、怖くて。

 

もう一度寝るのが怖かった、またその夢を見るのが怖かった。

YouTubeを見たりして気をまぎらわせた、それでも怖かった。

 

 

自分自身の性欲に対して私は「後遺症」だと思っている

「欲を満たしたい自分」と「触られるのも触るのも怖い自分」が居て気持ち悪い

耐えられない

これを後遺症と呼ばずなんと呼ぶのだ、型に当てはめて理解せねば耐えられない。

 

 

もう二度とまともに恋愛ができないと思う

心の面はともかく、身体の面では。

 

それで自分が幸せだと感じられたなら、別に1人でもいいのかなと思う。

友達もお姉ちゃんも居るからね、大丈夫。

 

 

 

 

 

あ、割と沢山書いてしまった、、!

やらかした〜、。

まぁ、いいや

ここからはこれから先について。

 

 

もうすぐ教育実習がはじまる。

緊張する、するに決まってる。

 

私は教員になりたい訳では無い

 

違うか、。

親が決めた道以外の道を探すために、今年やっとリスタート出来たばかりだから

 

教員になりたいという気持ちは私のものではなかった

 

これがきっと正しい言い方なのかな。

 

自分のやりたいことは分からない

自分で何かを決めるのも

周りの目を気にしないのも

難しい事ばかりだなぁと思う

 

考えるのがしんどくて苦しくて耐えられない。

 

耐えられなくても死なないようにしてる、自傷もできる限りやめた

 

 

手の甲の痕を見て、早く治らないかなと思う日々。

自分で傷つけたくせにね。

 

だって、1番触りやすい位置にあって痛みを他よりも感じない場所だから仕方ないでしょ、。

後悔はしないようにしてる

 

これは、私が前に進むために必要だった行為だと思うから。

 

 

 

生きる意味は分からない

どうして生きてるのか

私に生きる価値があるのか

 

生きたいとも思わない

特別やりたい事も対してない。

 

死んだっていいと思う

 

 

 

でも、周りの人がもう少し居て欲しいと思ってくれてる間はまだ、少しだけ前向いて頑張ってもいいのかなと思ってる。

 

 

 

 

黒染めをして、黒髪になった

スーツを着て今日も見学に行ってきた。

 

 

あー、社会人って感じ!

 

 

教育実習、ぼちぼち頑張ってこ〜

春、成長。

1ヶ月くらい更新してなかった。

 

本当は小さな日記として書き留めたかったんだけど、まぁ、記憶に残ってることは沢山あるしいいかな。

 

春休みを簡単に書き出してみる

・両親が寄り添ってくれるようになった、両親に話せるようになった。

・通院を続けている。

・大好きな友人と1泊2日で遊んだ。着物も着たし、とにかく楽しかった。

・従姉弟会をした。

・友人が遠くから2泊3日で泊まりに来た。

・インナーカラーをいれた。

・フォロワーさんにイヤリングを作ってもらった。

・大学の先生に話しをして、学校に居場所ができた。

 

 

あれ、書き出せてるかな?

ほんとはもっとあるかもしれないけれど、思い出せる範囲の思い出、私の記録。

 

 

何度も生きるのが苦しくなって、

何度も現実から目を逸らして、

何度も何度も自問自答を繰り返してる

 

 

本当に生きるのを辞めたいのか?

 

 

そんな中、ここ数日は小さな幸せに目を向けられる事がふえてきている

 

お母さんが笑ってくれたとか、お姉ちゃんと一緒に遊んで楽しかったとか、猫が可愛かったとか。

 

それと、朝早起きできるようになった!

朝起きれなくてしんどかったけれど、毎朝8:00には起きる習慣がついてきている(二度寝するけど)

 

 

 

少しずつ前を向くことが出来ている

出来ることが増えてきた。

 

 

生きることって言うのは、きっと痛みを伴うことなんだろうなぁ

 

傷ついて苦しんで

人の手を借りて、何とか立ち上がって

やっと前に進めるんだと感じてる

 

 

 

春が来た

もうそろそろ桜の蕾が開き始める頃だろうなぁ

 

 

 

 

少し前の自分と今の自分を比べてみる

 

私は、私より成長しているだろうか

 

今年は、去年よりも沢山、桜を見に行こうかな

いつまでも、子どものままで。

「大人になること」

「成人すること」

かっこいい事だと思った

自由が手に入ると思った

 

なんで今はこんなにも、大人になりたくないないだなんて、思ってしまうのかなぁ。

 

 

 

もう20歳になって、周りの子はみんな自立してる

 

自分だけどんどん置いていかれる

 

「自分のペースで歩けばいい」

と言われるけれど

 

いつまでそれが出来るんだろう

いつまでわたしは人を頼っていいんだろう

いつまで人に甘えてもいいんだろう

 

 

ずっとこのまま、子どものままでいたい

 

 

「死にたい」気持ちの後押しをするように

「生きたくない」と思う

 

 

大人になりたくないから、生きたくない

 

 

こんなふうに甘えた考えをする自分に対して、嫌な気持ちにもなる

 

 

 

明日も生きたいと思える日が来たらいいな。