帰省、そして休養。
土曜日のカウンセリングで、延々と泣きながらカウンセラーに話をした。
生きるのがただ辛い
何も出来なくて辛い
心も身体もぼろぼろで辛い
全部が辛い
死にたいけど死ぬのが怖くて死ねなくて辛い
もう、いっぱいいっぱいだった。
私には余裕が全くなかった。
こんな状態で、前々から予定してた通り実家に帰省することになった。
参加してすらいない学園祭のことを聞かれると心がしんどくなった
心配かけまいと思い、家族や友人や先生に向けて吐き出した多くの嘘が、トゲが、どす黒くなってまとわりついて身体にズブズブと刺さった。
正直なことが言えない私に対して家族が様々な考察をする
私は〇〇だから××なんだろうね
と決めつけられる。
仕方がないことで、当たり前のことで
それにすらもう、耐えることが出来なかった
本当の自分を吐き出さずにはいられなかった
苦しかった、辛かった、誰かに、家族に、大切な人に、嘘を見破って欲しかった、もっと深くまで心配して欲しかった、理解されたかった、知って欲しかった、助けて欲しかった
私は死にたかった
私は生きる事から逃げたかった
私は、私は、私は……
全部を吐き出したあと何度も
「もう、休みたい」
と、泣きながら伝えた。
両親は多くの選択肢を用意してくれた
しかし、どれもほとんどが学校に通い続ける選択肢ばかりで、その時の自分にはあまりにも耐えられるものではなく、考え答えを出すことを少し後回しにした。
この決断ひとつで私の人生がまた、決まってしまうのだから
次の日の朝、また話し合いをした。
学校に行き続けることは苦しいと自分の中で分かっていたから、学校に通おう通おうと提案されるのが辛かった
「ごめん、少しだけ1人にして」
そう言って少しの間時間を貰い、一人部屋にこもって考えた。
休学したいと
伝えるべきか、伝えないべきか。
家族の元へ戻り、泣きながら、震えるような声で伝えた
「休学…したいです…ゆっくり休みたい、学校に行き続けるのは無理、。このまま行くと私は絶対に死ぬ、死にたい。死にたくない、生きたいから……休ませてください」
家族は暖かかった、私が感じている何倍も暖かかった。
休学することが決まってすぐ、家を引き払う手続きや休学の手続きをほとんど進めて、引っ越すための荷物運びをはじめた。
一気に色んなことが進んで体力も脳も疲弊しているけれど、心はもう
「死にたい」
と感じることは少なくなったように思う
運びきれないほどの大量の荷物を見て、それまで自分がこの場所で生きてきたこと、一人で生きてきたけれど周りの人のもので溢れていたことを実感することができた。
私は、私が自覚しているよりもきっと沢山の人に支えられて生きているのかもしれないな。
『道はひとつじゃない、ゆっくり考えて経験して、今はとにかく自分のことだけ考えてゆっくりすればいい』
父親はそう、私に何度も伝えてくれた。
1番に大切な友人に、そして命の恩人である友人に、そして幼なじみに、お世話になっているフォロワーさんに、お昼を食べる約束をしてた大学の男友達に、少しずつ連絡をしていった。
皆優しく受け止めてくれた
ゆっくり休んでね
と、頭を撫でられるような感覚だ
未だに大学の友達には伝えることが出来ていない
伝えるのはしんどいし体力がいる
もう当分は会うことはないだろう
きっと会う度に劣等感を感じ、苦しくなる
好きな人に嫉妬するのは苦しい
それらを感じないくらい元気になるまで、ゆっくりゆっくり休みたいと思う
元気になればまた、一緒に笑うことができるのかな。
大好きな特支のメンバーには幸せになってもらいたいし、また、できたら一緒に、またいつか、笑えたらいいな
私が居ない間に私の事をみんな忘れちゃうかもしれないし、どうでもいいとかきっと思われてるだろうけれど
私はいつまでも彼女達一人一人を忘れたくなくて、それくらい特支のメンバーは皆優しくて暖かくて面白くてかっこよくて可愛くて、素敵な、それこそ奇跡みたいな出会いだったのかな。
心配かけてたら申し訳ないな、ごめんなさい。
いつか元気になれたら、また会えるのかな
高校の大好きな友達に明日には連絡した方がいいかな〜、と絶賛迷い中
諸々の方々には、ぼちぼち連絡していくつもり、
無理しない程度にね
半年ほどゆっくりゆっくり休ませていただきます。
このブログは今後も続けていきます、書くことで記憶を整理することができるからね。
いつか、明日も生きたいと思える日が来るかもしれない
それまで、ゆっくりゆっくり
人の為ばかり考えるのは、呼吸をすることと同じくらい当たり前で、だから今更自分の事を見つめるのは大変で、だけど
少しずつ、前を向いて
生きようかなと思います。