まる。の生きる日記

抑うつ状態の女子大生が辛い記憶を忘れない為の日記。誰かに知って欲しいだけかもしれない。

2020年元日

あけましておめでとうございます

本年も何卒よろしくお願い致します。

 

 

 

 

実家で年末から正月を過ごすのは一昨年ぶりだった

 

おせちではないが、姉と母とオードブルを作った。

 

ローストビーフと春雨サラダは大好評だった、嬉しいなぁ。

 

 

 

 

夜、パニックになった。

というか、本気で家出しようとした。

 

 

それまで色んなことに気をつかっていたようだ、

「家族はみな頑張っているのに私は何もしてない」

「自分なんて家にいてはいけない」

 

 

そういう思考が、心の深いところで募っていったのかも。

 

 

 

 

 

服の福袋を買うか迷っていた

大好きな友達とのペアコーデで悩んでいた

 

なかなか決まらなくて、これと言って欲しくもないという感情が強くなって、買わないことにした

 

 

でも、新しい服は欲しいし、、。

 

 

ぐるぐるぐるぐる考えていた

 

年を明けてずっと時間があれば服とペアコーデと、それらばかり考えていた。

 

 

 

気分がどんどん落ち込んでいた

 

 

買いたい、買えない、買いたくない

 

 

 

ペアコーデについて母と姉と話していた

 

友達にどのタイミングで相談を持ちかけるかなど、アドバイスを受けた

 

アドバイスを受けたのにも関わらず、イライラしたのか、全部の言葉をマイナスに捉えていたのか分からないが

 

「そんなん分かっとる」

「それは押し付けや」

「お姉ちゃんの言うことを押し付けんとってや」

 

 

感情がマイナスに向いて、素直に姉の言葉を受け入れられなかったのか

 

 

もちろん当たり前に、姉も気分が悪くなる

 

 

パニック状態になりかけてると分かって言ってくれたのだろう

 

「とりあえず寝な」

 

そして

 

「起きんでええよ」

 

 

 

この「起きんでええよ」は

あとから聞くと「次の人朝まで寝ときな」

という意味だったらしい

 

 

 

でもまいなすさん状態の私には

 

遠回しに

「死ね」

 

と言われているように感じた

 

 

「こんな家おられへんわ」

「家出るわ、ばいばい」

 

 

そういってリビングから離れて家出をする支度をした

 

 

 

母も姉も

「家出する」

だなんて思ってなかったのだろう

 

 

いつも通りのパニック状態に近いものだと思ったのかもしれないし、分からないが、冗談半分ぐらいで受け止められたぽい

 

 

 

着替えて、前髪にストレートアイロンをしていた

 

カバンに荷物を詰め込み家を出る準備を進めた

 

ストレートアイロンをしている時に、母に見つかり止められた

 

 

口頭の静止では止まることができなかった

 

母は私を抱きしめ遮り何度も、その小さな身体で全力で引き止めようとした

 

 

でも、図体が人より大きい私を母1人では引き止めることが出来なかった

 

 

母が姉に5度目くらいのヘルプを出してから姉が顔を見せた

 

 

姉も緊急事態に気付いたようで、私が持っていたカバンを奪おうとした

 

 

 

そのあとは

母が私を後ろから抱きしめ引き止め

姉はカバンを奪おうとして引き止め

私は「こんな家におられへん」

「自分なんかこの家おったって意味無い」

「自由にさせてくれ」

泣き叫ぶように何度も繰り返し、カバンを奪おうとする姉に抵抗した

 

 

 

少し経ってから頭が落ち着いてきて、

イスに座り母と話とし

姉は父を呼びに行った

 

 

タツに家族が集まり、

母に

「話したいことがあるなら全部話しな」

と言われた

 

 

 

何を話したいのかよく分からないし

 

別に家族に何かを求めたい訳でもない

 

でも

自分がパニック状態になるのは仕方ないし

でもしんどくて、

頑張るしかないし、疲れちゃうし

家族に対して申し訳ないと思うし

人間として生きるのがしんどいし

 

 

 

思う事をぶわーって話したから何を話したか具体的に思い出せないけど

 

 

 

いっぱい話して、自分の思考がおさまってきた

 

 

 

結局自分がどうしたいとかはないけど

 

今後も戦っていくしかないし、これが病気だと家族に知ってもらえてホッとしたかも

 

 

 

お母さんが引き止める時に泣いていたらしい

 

 

私は気づくことが出来なった、

気づきたくなかった

 

 

 

家族の涙はしんどい

 

自分の意見が言えなくなるから

 

 

 

あとから姉に伝えられて、申し訳ないごめんなとあやまった

 

 

姉にも謝られた

言い方も悪かった、私もスイッチが入っていたかも

そう言って謝ってくれた

 

 

姉は別にそんな悪くないのでは……と思うが

 

 

 

ストレスを発散する方法考えなきゃな〜

家族が私に対して死ねなんて思うわけないやん

父はそう何度も強く伝えてくれた

 

 

 

みーちゃん引き止められへんわ

またパニックなったらどうしたらええん?

母も気持ちが落ち込んでしまったらしい、というかとても悲しんでいた

 

私は確実に死ぬと確信したらしい

 

だから、それが怖かったと

 

 

また、そうなるのが怖いと

 

 

母の身体では私を引き止めることが出来ないから。

 

 

母の病気のことを考えた

 

誰よりもこの家族の中で死に近く死を覚悟して生きる彼女にとって、私たち子どもは自分の命と引き換えにしても足りないくらい大切なものなのだろう。

 

母の寿命はあと5年もないかもしれない

 

正直いつ亡くなるか分からない

 

日々訴える母の身体の不調にヒヤヒヤする

 

 

 

向き合っていくしかない

これは病気だから

こうならないように、目を背けずに

少しでもストレスたまらないようにとか、考えながら。

 

 

そういう話をした。

 

 

 

 

 

波乱の元日だった

 

 

めちゃくちゃ疲れた

 

 

 

こんな元日なかなかないと思う

 

 

 

 

 

厄祓いかもしれないなーとか、去年の分のね。

 

 

 

 

 

 

今年は少しずつ努力して前に進む年にしたい

 

今年も、かな。

 

 

自分の人生を歩める人間になりたいな。

 

 

 

 

お母さんに笑ってもらえるように、前向いて生きたいな。