オーバードーズ
ねむれない夜なので、書きます。
私の苦しいは誰かに見てもらえてるのかな
2週間近く、いや、3週間かな
そのうち実質4日くらいしか外に出てないかもしれない
数えてないからわからない
人にも会っていない
はじめてオーバードーズをした。
バファリンを20錠近く飲んだ
死ぬ時はちゃんとしっかり死にたくて、でも直前になってこわくなってしまった
致死量ではないことを理解した上で飲んだ
興味本位でもあり
その行動による周囲の変化、家族の対応
「自分が窮地であることを周りに理解してもらう」ための一手段となり得るかどうか判断したかったのかもしれない
過食後に飲んだため、3時間後に頭痛が少しするくらいしか感じずその後10錠加えて飲んだ
次の日の難聴と耳鳴りはえげつなかったが、この程度なのかと思わざるを得なかった。
本気で死のうと思ってた為、嘘を沢山ついた
私は嘘つきで、自分が良いように見てもらいたい時、楽をしたい時、効率よく進めたい時はすぐ嘘をつく
家族にオーバードーズをしたことを伝えると、そっかぁ……というような反応だった
本気で死のうと思ってなかったなら良かったと思われたんだろう
希死念慮は消えない
ここ数日はかなり強い
死にたいのに死ねないのでは無くそれすらもう面倒に感じてしまう
ただの怠惰なのかもしれない、多分怠惰なのだろう。
生きることに疲れてしまった
学校なんてもう、行く気力もなくて
疲れてしまった。
周りはもっと疲れているし家族がどれだけ頑張ってるかを知ってるから苦しい
こういう、優等生な自分がいるから自分が楽をする度にそれを責め嘘をつく度に責め、つらい
普通の人もみんな当たり前にこういうことを脳の中で行い処理して生きているのだろうし、私も今までそうしてきたはずなのだけれど
「怠惰」が抑えられないだけなのか
鬱状態になってしまっているのか
よくわからない、生き延びようとも思わないのにな
次はちゃんと致死量を飲もうと思う
たいしたことないな、と家族や周りに思われているのが嫌なのかもしれない
自分が苦しいことを理解して欲しいのかもしれないし、そうしてもらうことで自分が家にひきこもって楽になれると私は思っているのかもしれない
もう本当に、日々を生きるのですらいっぱいいっぱいだ
本当にいっぱいいっぱいで
情報化社会の現代は私の生きやすい世界ではないとヒシヒシと感じる
SNS含めインターネットに出会うことなく自分の世界にひきこもって田舎でなにも知らず良い子いい子で周りにいい所だけ見せて生きてたら私も周りも幸せだったのかもしれない
私は生きるのが向いていない
それだけ思考が回ってしまうからでもあり
怠惰の化身でもあり
もう耐えられない
別に外に遊びに行けなくてもいいから絵を描きたい
絵を描いてフォロワーに喜んでもらいたい
歌を歌いたい
歌を覚えたい
したいことはそれくらいかもしれない
他の小さなしたいことはもうなんか、満足してしまった
もういいや
はやく楽になりたい
お金が欲しい
遊んで暮らしたいまでは言わない、ただ何もせず幸せだと思える環境下で暮らしたい
無理だね、もう手遅れです
うちの家族は皆、今は綱渡り状態
1人が足を踏み外せばみんな下に落ちていく
私がしねばみんな死ぬのかな?と思うくらい、不安定で脆くて
だからこそ「家」は私の居場所じゃない
そうだと信じたくないのかもしれない
そんな不安定な足場を固める役割をしてきたことを家族は理解してくれない
全部全部嘘だったと理解してくれない
私の本音が見えなくなったことすらも理解してくれない
私の居場所はインターネットにしかないのかもしれないし、ここもきっととても不安定で
でも、きっと現実よりよっぽど幸せなのかもしれない。